
KEIKO OKUMURA
1980年より、プエルトリコ、ドミニカ、コロンビア、ブラジルなどのラテン世界の国々を、バスや車はもちろん、舟や飛行機などのヒッチハイクなど、あらゆる交通機関手段を使い、心に響く太鼓の音とリズムを求め、転々と回り旅し移り住んできた。
ある時は、パナマの住み込みパン屋、またある時は、メキシコのオパール屋で働き、そしてあたある時は、コロンビアのカリブの小島で、物もお金もすべて盗まれ無一文になり、小屋を建て自給自足生活など、とにかくスリルとサスペンスに満ちた過激な暮らしくを続けながら人生を生きた。
この数年間の放浪生活の末、コンガを(キューバの太鼓)やろうと一大決心をし、ニューヨークに居を構えることにした。
キューバ人のロベルト ボレロ氏に出会い、弟子入りをし、深く濃く厳しく、ちょっと不思議な修行?を受けながら、イーストハーレム ミュージックスクールに通い、サルサの基本を学びつつ卒業。音楽と踊りがなけりゃ人生無いも同然という私は、危険をかえりみず、夜な夜なサウスブロンクス、スパニッシュハーレムなどにあるサルサクラブに通い、踊り明かす日々を送って3年。
その後、帰国し、伝説のバンド”じゃがたら”のメンバーとして活動していた矢先、コンゴから、二度目の 来日していた”PAPA WEMBA&VIVA LA MUSICA”のコンサートに出くわし、彼らの発するブラックアフリカの強力な力エネルギーに魂が揺さぶられ、このバンドに入るしかないと思い、’89年 、彼らの拠点、パリに移住し、メンバーとなる。主にパーカッションのシェケレを担当。
パリでの日々の練習とコンサートでアフリカンリズムを叩き込まれ、ワールドツアーにも参加。
同時に、コンゴの伝統的な太鼓を中心としたパーカッションと踊りのグループ”ERIMA”のメンバーとしても太鼓を叩く。
現在はこの、10年のラテン世界と13年のアフリカン世界の中で生きて、太鼓、踊り、音楽、生き方など学び吸収したものをいろんな形で発信しています。 パーカッショニスト、太鼓クラス、DJ、トーク、コンゴ専門コーディネーターなど。